手段を目的にしないということ

俺はパルクールがしたい(トレーサーで在りたい)のであって、社会に適応したいわけでもなければ人付き合いがしたいわけでもない。それらはあくまで手段にすぎない。パルクールをするためには生きねばならない、生きるとは社会で生きるということ、また人付き合いも多かれ少なかれ避けられない、だから手段なのだ。パルクールをするために必要な手段として、必要最小限に行うだけでいい。それ以上は要らない。

しかしそう考えているのは俺だけだ。トレーサー達はパルクールが一番といいつつ、社会への適応も、人付き合いも、必要最小限以上に行っている。そしてそれをパルクールだとぬかして正当化している。パルクールには友達も、恋人も家族も要らないはずなのに。Family?それはオリジナル寄りのパルクールだ。ADD だ。Original Parkour だ。俺にとってのパルクールはそれじゃない。尊重はするが、依存はしない。俺がやりたいパルクールじゃないのだから。

だから気を引き締めよ。彼らに毒されてはいけない。俺は俺のパルクールを追求するトレーサーなのだ。