パターンという名の砂粒

複数の障害物がどう配置され、どう経由して動くかという「パターン」は無数に存在する。

俺は その無限の砂丘から光り輝く砂粒を探そうとしている。昔はどこもかしこも輝いていた。一生かかっても遊びきれないよー、わくわくしすぎて死んじゃうよーと贅沢な悩みを抱えていた。老人まで生きるの大変だし25歳くらいで死ねばいいか(それまでは全力でパルクールだけする)という太く短くなライフスタイルを採用したこともあった。しかしそうはならず、俺は探し続けることを、粘ることを選んだ。

輝く砂粒は次第に少なくなっていった。似た砂粒が驚くほどに多いんだ。一度味わっただけで、視界に見える、光っていた砂粒の半分以上から輝きを失われるケースだってあった。あれは無いと思った。インチキだ。詐欺だ。水増しだ。どうして?砂粒はこんなにも目の前に、数え切れないくらいに腐るほど存在しているのに。

潮時なのか。砂丘から立ち去るべきか。何を言っている?周囲を見てみなよ。見渡すかぎりの砂丘さ。ここは砂漠だ。地平線も見えるよ。立ち去ることなんてできない。これは呪いか。いや、ただの無知なのだろう。俺は考えもせず、足を踏み入れ、進み続けた。夢中になりすぎた、盲目的だったのかもしれない。