PK, FR, ADD とは何か

パルクールは四つある

Original Parkour。先人が考えるパルクールで、いわゆる ADD と呼ばれるもの。競技化やメディア化の波により圧されつつあるものの、トレーサー達はこれを知っている、知ろうとしている、尊重し、守ろうとしている、継承しようとしている。とはいうものの、直接彼らと共に過ごさない限りは、ネット上で動画や文章を見つつ、あるいは直接過ごしたトレーサーから又聞きしつつ、自分の経験と重ねて解釈するくらいしかできないがゆえ、実体も実態もいまいち理解できていない、というのが正直なところだ。

Raw Parkour。これは最も広域なパルクールの概念であり、Original Parkour をも含んでいる。全てのパルクールはこれに含まれている。最も上位の概念、というよりカテゴリと呼ぶべきだろうか。俺が長らくパルクールを続けて思ったのは、パルクールには多様性があるということ(Original Parkourもその一つでしかない)だ。ならば、それら全ての要素を包含した概念があってもおかしくはないし、むしろ便宜のために存在するべきだ。俺はそう思っている。信じている。だから Raw Parkour とは何なのかという思索は続ける。

My Parkour。これは俺のパルクールだ。俺が、俺による、俺のためのパルクール。俺が追求したいパルクールだ。もちろんパルクール無関係の事物をパルクールだと断定するのは論外であるため、Raw や Original は尊重することになる。というより、そこをとっかかりにしないと何もできない。俺はゼロから何かを生み出せるほどの偉人ではない。そんな俺の My Parkour は個に閉じている。いわゆる Family という概念はない。また道の創造や環境への適応、特に到達と移動効率を前提とした正確性・安定性に主軸を置いているため、アクロバット全般が入り込む余地もない。要するに昔パルクールは効率的な移動だと言われていた時代の価値観が色濃く反映されている。俺にとってパルクールとはそういうものだったんだ、それが一番しっくりくる解釈だったんだ。

Free Parkour。これはいわゆる FreeRunning と呼ばれるものだ。移動ではなく利用。単に環境を利用して動くことを指す概念であり、その広さのおかげでトリッキングも体操も格闘技もダンスも包含できる。文字通り自由に動ける。これは Original Parkour に馴染めなかった、あるいは誤解して、動くことや競うことの楽しさに魅せられた者達が、自身の行為をパルクールとして正当化するために発展してきたものだ。元々はそんな意図ではなかったが、結果としてそうなった。

PK, FR, ADD

PK と FR と ADD はどれも同じ概念だと言われているが、違う。

俺はそう思うし、そうあるべきだ。実態は少なくとも PK = FR = ADD ではないのだから。各々には定着したニュアンスがあるのだから。

My Parkour の呼び名は?

では残る一つ、My Parkour は何と呼べばいいかだが、呼ばなくて良い。なぜなら My Parkour は俺の、俺だけのパルクールなのだから。俺だけが追求するものなんだから。他者と共有する必要がないから、名前も要らない。もし記録等のために言語化が必要なら「俺パル」など適当な名前でも付ければ済む。