俺はなぜパルクールをするのか

まず人生の目的から振り返っておこう。

俺はなぜ生きている?何がしたい?どう在りたい?……俺は自分を満足させたい。

では満足するにはどうしたらいいか。アプローチは三つある。

  • (1)気持ち良くなる
  • (2)楽しくなる(面白くなる)
  • (3)好奇心を満たす(知りたいことを知る)

ではこれらを満たすためにはどうしたらいいか?……それが俺の場合はパルクールになる。元々外で体を動かして遊ぶのが好きだった。飛び越え、よじ登り、飛び降りて、渡る。そんな原始的な移動動作に夢中になった。なぜ夢中になったのはわからない、というか覚えてない。が、ともかく小学生の頃にはなぜか夢中だった。そして俺は頑なにそれにこだわり続けた。なぜ頑なに続けねばならなかったのかは覚えていないが、何をするにも不器用で浮いていたとか、人付き合いが苦手で内気だったとか、お金がなくて皆と一緒のことができずハブられていたとか、意固地になっていたとか、中二病(にしては早すぎるが)みたく自分を特別な存在と考えてあえて固執していたとか、そういった理由が絡み合っていたのだと思う。

そうこうしているうちに高校生になって、俺はパルクールと出会った。掲示板2ちゃんねるで見かけた「パルクール」の文字。クソ遅い回線で見た動画……ダヴィッド・ベルとセバスチャン・フォーカン。俺と同じことを、こんなにも高めている人達がいたんだ、人間はこんなにも動けるんだと感動した。俺が今までやってきたものは「パルクール」となった。以降も続けることになるのは言うまでもない。

つまり 俺にはパルクールしかない。俺が俺を満足させるためにはパルクールに頼るしかない

ここで冒頭の問いに戻る。答えはこうなろう。

  • A: 昔からずっとやってきたもので、できることがこれしかないから

昔は何かとカッコイイ理由を見出そうとしていたが、俺も大人だ。そんなガキっぽい真似はしない。正直に認めよう。単なる惰性だ。井だ。蛙の水遊びでしかない。

フリップはしない。してはいけない。

俺はフリップはしない。

非効率的だからだ。俺は元々効率的な移動を追い求めるマンだった。この移動効率追求を通じてパルクールというものを理解してきたつもりだし、そうすることでしか理解することができなかった。もちろん今は社会人になるまで生きてきたこともあり、かなり人生知見も溜まっているであろうから、他のやり方も可能だと思う。それは追々やればいい……と言いたいところだが、それでも、フリップは、ダメなんだ。フリップが最も楽しくて効果的なトレーニングであることは疑う余地がない。でも、怖い。自分を正確に回す技術など効率的移動には、つまりは俺が今まで積み重ねてきたパルクールには不要だ。どころかジャマですらある。俺のパルクールは繊細なんだ。余計な感覚は持ち込ませたくない。あれもこれも飼えるほどの器量は俺にはない。だから球技も下手。昔から。

正確に制御できないからだ。俺は自分に掌握できそうな動きだけを選び、採用している。そうしないと死ぬからだ。俺はどこだろうと安定して動き続けたい。落ちたら身体的に死ぬとしても。あるいは社会的に死ぬとしても。ハイリスクだから最初からやりません、では跳べないんだよ。歯がゆいんだよ。目の前には天文学的な数の障害物が、スポットが、道があるというのによ。そいつらを貪りたいんだ。貪るためには、それだけの実力が必要だ。もちろん所詮は人間だし、俺は決してセンスを持つ者でもない。たかが知れている。だから考えた。どうやれば最大限貪れるのかを。そしてそれは選択と集中だと結論付けた(というより付けていた)。フリップは、俺の選択から外れたのだ。俺が選択してきた動きは、どれも直感的に、感覚的に、自然に、人間という生物の延長上で行えるものばかりだ(そんな意図はないがあえて言語化するとこのような表現が近い)。フリップは、そうじゃないということなのだろう。

承認されないからだ。フリーランナーがありふれた世界はとても競争が激しい。俺はあいつらのように輝けない。そんな要領もないし、モチベーションもない。そのくせ承認欲求だけは人一倍だ。悔しくて、めちゃくちゃになるのは目に見えている。羨み、妬むだけなら良いかもしれないが、俺は手を上げてしまうかもしれない。消してしまうかもしれない。何をバカなと思うだろう。俺は知っている。俺は承認を貪りし者でもあるのだ。だからこそ俺は自制する。しなければならない。フリップを封じ、フリーランニングからあえて距離を置き、哲学と理屈で蓋をする。そうやって一人の世界に篭もれば、「実は俺の方が凄いんだぜ」と自惚れることができる。現実はそうではないことなど知っているが、それでもだ。自惚れることは大事なんだ。自分を守るために。滅ぼさないために。

……そうだ。最後の理由が一番大きい。俺は、フリップに手を出せない。出しちゃいけないんだ。

ただ、楽しみでもあるんだよ。もし俺が俺のパルクールをできなくなった時。たとえば刑務所に入った時。その時は、おそらく周囲には障害物など無いであろうから、フリップで遊んでみてもよいと思っている。それがパンドラの箱だとは感じつつも、おそらく俺は開けるだろう。そんな気がする。

そんな俺だからこそ、やはり日頃から抑えねばならぬ。ならぬのだ。

道具には頼らない、という口先

なんでサポーターを付けないの?なんで裸足なの?なんで上裸なの?と言われることがある。その度に闇に引きずり込まれる。

疑問に答えると、それは道具だからだ。俺はトレーサーだ。道具に頼らず己の身体のみで動く存在だ。もちろん社会で生きる以上、ある程度の道具が必要であることはわかっている。でも、だからといって道具を使っていると、それはトレーサーとして道具に頼っていることと同義になってしまう。極端な話、衝撃を吸収できるパワードスーツがあったとして、それを着て動くことはパルクールだろうか。空を飛ぶシューズを履いて跳ぶことはパルクールだろうか。違う。それはパルクールではない。道具に頼った何かでしかない。

程度の差が違うだけでサポートも、シューズも、服さえも道具だ。

だからこそ俺は葛藤する。俺とて社会で生きる人間。サポーターはさておき服や靴はどうしても必要になる。必要とならない環境を見出すことも一応成功しているが、このような環境下でのみ完結できるほど俺のパルクールはコンパクトじゃない。

俺は探している。服や靴を使っても良い理由を。正当化でもいい、屁理屈でもいい。とにかく 俺は、俺を納得させなければならない。でも納得させられたことはない。それほどにこの問題は深い。闇だ。底なしの沼のようだ。俺は、どうやったら脱出できる?

パソコンにどれだけ頼るか

俺はアナログな人間だが、パソコンだけにはかなり依存している。情報収集に便利だからだ。パルクールはインターネットで発展してきたものだ。それは今後も当面は変わらない。インターネットを見ないと情報を見れないのだ。ぼっちトレーサーだからなおさら、な。

スマホ?あれはダメだ。画面が小さいし、操作しづらいし、そもそも外出先でインターネットを見れるほど俺は器用ではない。俺がパソコンを触るのは体を動かせない時だけだ。だってそうだろう、外出時は当然パルクールをしているのだから。特に俺は通勤パルクールなど移動ベースの実践的な動きをメインにしているからなおさらだ。もちろん常に屋外でパルクールしているわけではないが、環境を見て、頭で考えることもしているわけで。いや、そこも含めてパルクールと言えば、ほぼ常にパルクールしていることになるのか。どうだろう?パルクールとは何か?考え事もパルクールか!?ふふ、パルクールは難しいのう。

インターネットを効率的に利用できるデバイスはまだまだパソコンなのだ。

さて、そのパソコンなのだが、こいつに頼りすぎるのも考え物である。俺は最近「どうせ動けないし」を理由にパソコンを長時間触ることが多い気がする。我がトレーニングにケチをつけているわけじゃない。そうじゃなくて、それ以外の、パルクール以外の日常生活の過ごし方が怠惰であるといっているのだ。確かに頭は弱いし、それは仕事終わりは運動不足の初心者ががっつり練習会で遊んできた時の全身筋肉痛みたいな疲労感を頭が受けるほどだが、だからといってその後の時間の過ごし方をテキトーにしていい理由はない。有意義にしたいものだ。

今の俺は自ら有意義な過ごし方を探すことを放棄している。どうせ抜け殻状態なんだからとテキストを書いたり、マンガを読んだり、やる気のないパルクール普及作戦やらWebサービス開発案とかを考えたりしている。で、その間はパソコンを使っている。

パソコンを使うことの何が問題か?

お金がかかるのだ。パソコンと周辺機器は一通り新規で揃えれば30万くらいはかかる。故障すれば当然補強も必要になる。またこれとは別に電気代とインターネット代が月額でかかる。電気代は地味に厄介で、パソコンを壊させないために夏に冷房を設定することも地味に効いてくる。俺は お金のかからないパルクールを目指している ようにあまり金がない。冷房つけっぱによる電気代が影響するんだ。

もし仮にパソコンを使わずに済んだとしたら。このあたりの金を全部節約できる。俺はもっとアナログになれる。そうしたら何か刺激があるかもしれない。俺のパルクールに変化が訪れるかもしれない。自給自足マンほど原始的になる気など到底無い(俺はパルクールがしたいのであって不便なサバイバルに関するこだわりは一切ない)が、パソコン程度ならば十分消せる選択肢ってのもありえるのではないか。

というわけでパソコンを使わずに済むかどうか、済むとしたらどうするかを考えているのだが……難しいな。というのも俺は頭が悪いからもっぱらキーボードが、テキストエディタが、テキストボックスが必要なのである。 書きながらでないと考え事すらできないくらいに俺は弱いんだ。つまりこの時点でテキストエディタは必須。「それならオフラインでもいいじゃないか」となるが、ダメなんだ。データはバックアップしなければならない。バックアップといえばクラウドだろう?HDDだと?クラウドの方が何倍も堅固なんだぜ。そもそも俺はアナログなんだ。HDDを別個抱え込むことさえ煩わしい。現実世界でパルクール以外の行動はなるべく取りたくない。その点、クラウドならパソコン上で操作が完結できる。ほい、この時点で少なくともテキストエディタクラウドね。つまりインターネットも必要なのだ。

ほへほへ、まだまだ消せそうにはないな。考え事を頭だけで完結できるように矯正していく必要があるな。スポット情報ならぐんぐん覚えられるというのに。まあ手続き記憶の違いだろうな。日常生活で使う頭と、パルクールで使う頭。両者には何倍もの開きがある。前者の頭で言えば、たぶんその辺の高校生にも負けてるぜ……いやそんなことはない?だって俺、これでも会社員なんだからよ。でもなあ、かなり変わった方法で勝ち取ったからなあ、会社員でいる=相応の諸能力がある、という証明にはならない気がするんだよなあ。

話が逸れた。ともあれ、パソコンからはまだ離れられそうにない、という結論だ。

p.s. あ、動画絡みは……。最近は使ってないけど、実はお金が増えたらもっと拡充したいと考えているのよね。アナログマンだけど、俺だってトレーサー、撮るのは嫌いじゃないんだ。そもそも動画見るためにも相応の回線が必要じゃないか。いや、動画も最近、というかここ数年はまともに見てないけどさ。その、アレじゃん、……ああ、考えだしたら意外と深いかもしれぬ。んー。あ、そうだ、こういうのはどうだ?「たまに使いたいだけならネカフェなり何なりが使えるだろ」← これ。これなら少なくとも後者は解決できるぜ。……まあ、パソコンはまだ無理という結論に変わりはないんだがな。

お金のかからないパルクールを目指せ

パルクールはお金がかかる?かからない?答えはパルクール次第だ。

だが俺はお金のかからないパルクールを選びたい。いや、選ばざるを得ないというべきか。

俺は不器用だ。その上、性格も利己的で、自分一人で容易く生きていけるし、その辺のやつより心身共に強いぜ、などと自惚れている。そんな俺には人脈などない。恋人はもちろん、友達さえも。かといって天涯孤独というほどではないが、経済的に頼れるほどの絆はない。だからお金を稼ぐことができない。

仕事はいくらでもある?それは器用で人付き合いを支障なくおくれる者だけが言えることだ。俺はずっとパルクールという名の遊びばかりをしてきた。遊び続けられるようなパルクールを模索し続けてきた。そこには勉強もなければ人付き合いもない。十年以上を費やして鍛えるべき経験が、俺は欠如している。学校?ああ、たしかに学校である程度は鍛えられたよ。俺が仮にも会社員として生きていられるのはそのおかげだろう。それでも他の生徒には遠く及ばぬ。俺の頭はもはや雑談にすらついていけないくらいに退化した。初見のスポットですぐ動けるくらいのオンサイトはできるのにな。つまり偏っている。そしてその偏りは、日常生活で生きる方へはほとんど配分されてないんだ。

今、俺は会社に勤めている。そこそこのホワイト企業に入ることができた。しかしここでも先は見えている。俺には昇進できるほどの要領も、転職できるほどの能力もない。また、パルクールを犠牲にしてそれを鍛えるつもりもないし、犠牲にせずに鍛えられるほどの要領もない。俺はこの会社に寄生し続けることでしか生き長らえることができない。平社員としてな。もちろん平社員だから給料は頭打ちだ。残業?何を言っている、俺はトレーサーだぞ?何故仕事のために貴重な時間をそんなに費やさねばならぬ?有給だってフル消化が当たり前だ。これでも足りないくらいだ。

ほら、やはり俺の収入はたかが知れている。これは今後も変わることがないと思われる。だからお金がかからないようにしなきゃいけないのだ。

そのためには「やらないこと」を増やすしかない。さっき書いた 結婚しないってこと もそうだな。ファッションとか、機材とか、交通費とか、外食とか交際費とか、車とか、他にも色々あるよな。みんな持っていて、便利そうなもの。楽しそうなもの。そいつらは諦めねばならない。

幸いにも犠牲は得意だ。あれこれ犠牲にしてパルクールだけに費やす。そんな悲劇のヒロインチックな境遇は俺にとってエネルギーになる。昔からそうやって自分を鼓舞してきた。そういう風に演じるのは楽しいんだよ。ふふ、案外俳優のセンスがあるかもしれねえな俺。プロトレーサーという名のアクターは(たとえそれで生活できるとしても)御免だが、案外できるのかもしれねえ。……おっと話が逸れた、ともかく、俺は犠牲に慣れている。過去には自己撮影無しで自分の動きを把握することや乗り物不要な範囲のローカルなスポットでパルクール人生を完結させることなども成功している。そのレベルでは俺は犠牲にし、その結果に適応することができる。犠牲の伝道師と呼んでくれ。日常生活のことなど、パルクールスタイルの捻じ曲げと比べれば何十倍も容易いさ。

世の中には裕福なトレーサーが少なからず存在する。生まれが裕福であったり、要領が良くて高給を取りながらもパルクールを一趣味として楽しんでいたりするのだが、彼らを見るとお金が欲しくなる。あれば便利だろうなと考え、手に入れようかともくろんでしまう。そのためにパルクールを犠牲にしてでも頑張ろう、勉強しよう、働こうと考えることさえある。

バカなことはやめろ。そんな要領はないだろ?そしてそれは現在進行で続いている。今更簡単には行かないぜ。もちろん可能性ゼロとは言わないし、俺だって楽したいからな、チャンスやアイデアは狙ってるけどよ、基本的には期待しないことです。

うむ。相違ないな。お金のかからないパルクールでオッケーだ。

結婚はしない

結婚はしない。俺はずっと一人で生きていくつもりだ。

本当はパートナーが欲しい。俺を支援してくれる家政婦のような存在が欲しい。もちろん家政婦を雇うのが理想だがそんな金は無いし、稼げるほどの要領もない。そりゃパルクールをやめて何かで稼ぐことに全力になれば(あるいはパルクールで稼ぐ、でもいいけど)なれるかもしれないけど、当然やめるだなんてありえない。となればあとは妻という凡人でも入手可能な家政婦下位互換(性能は妻によるだろうが)に頼るしかない。

が、妻は言うまでもなく家政婦ではない。夫を支える手段ではないのだ。パートナーとはお互いに愛を持って支え合うものだ。ゆえに妻という存在に支援機能としての役割を期待するのは間違っているし、そんな役割を引き受ける物好きなどそうはいない。プロスポーツ選手でもあれば話は別だが、2017/09/24 現在、そもそもパルクール界隈にそれほど稼げる者はいないだろう。いや海外ならいるかもしれないが、そもそも俺にはプロになれるほどの要領がない。何よりもフリップが嫌いだし怖いからな。回らずにプロとして在ること、そして稼ぐことなど、現在では不可能であろう?

そもそも俺は一人でも困っていない。ただ 家政婦がいたらもっと日常が楽になるというだけの話だ。お金だって有るに越したことはないだろう?それと同じだ。……これは言い換えると、家政婦には俺がより楽できるよう働いてもらう必要があるということ。現状俺にはトレーサーとして数多の制約が課されているため、たとえば食事一つを取ってみてもこだわらなくてはならない。厄介なのは俺が半ば感覚的に処理していることだ。これをわかってもらうためにはどうすればいいのか、考えただけでも辟易する。食事一つでこれだ。夫婦となれば他にもわかってもらわねばならぬことは多数存在すると考えられる。到底耐えられるものではない。

だから結婚はしない。いや、割に合わないと言うべきか。最近結婚してるトレーサーが目につくようになってきたが、惑わされてはいけない。結婚はしない。自明だ。考えるまでもないのだ。今考えたばかりだ。だからもう考えなくていい。頭の片隅にさえも置かなくていい。

このブログについて

俺もいい歳したトレーサーだ。人生について考えねばなるまい。あまり推敲せずその場で考えたことを書くというライブブログスタイル……ライブログスタイルで書く。だって下手に推敲入れると意味不明になっちゃうからね。現に推敲しながら書いてきた今までの俺のテキスト達は、後で読み返しても高確率で理解できないんだ。だから方向性を変える。推敲せずに、勢い重視でダンプしてみる。そうしたテキスト達は、今までのテキストとは違った何かを持っていると思うんだ。そしてそれは俺の人生検討に何かをもたらしてくれる。そんな気がしてならない。