外国には行かない

俺はたぶん外国には行かないだろう。チャンスに恵まれれば、ひょっとしたら便乗するかもしれないが、自ら行こうとするほど行動することは、たぶんない。

世界を知りたくないから。昨日 フリップはしない でも書いたが、俺は承認欲求を貪るモンスターだ。抑え込まねば死ぬ。滅びる。そうなってしまうための要因はフリップだけではない。世界を知り、トレーサー達を知ることもまた、その一因となろう。俺は基本的に日本のトレーサーしかない。彼らであれば俺は狂わない。彼らの程度は知っている。そしてそれは俺を狂わせるほど理不尽ではない。しかし世界の、海外のトレーサーは、そうではない可能性がある(AoM と J4J の2サンプルを鵜呑みしていいなら杞憂なのだが)。仮に当時時点でそうではなかったとしても、今はそうである可能性があるし、今後そうなる可能性もある。つまり、いつ滅びてもおかしくはないのだ。もちろんそれは日本国内でも言えることだが、日本に限定すれば俺は狂わずに済みそうな気がしている。なぜかは今は言語化できないが、そのうち試みることにしよう。

生活の前提が変わるから。俺というトレーサーはデリケートである。多くの制約を前提としている。日本の文化や土地や気候や国民性も例外ではない。これらが狂ってしまえば、俺というトレーサーも本領を発揮できない。俺はそれを嫌う。「トレーサーなら適応せよ」「多様な環境を受け入れよ」ごもっともである。しかし、だからといって何が何でも受け入れられるほど俺はお人好しではない。パルクールが汎用的なものであるとはいっても、たかが知れていると俺は結論している。パルクールが扱える範囲の世界、というものがある。俺の場合、それはおそらくもっと狭いのだろう。それが何かを端的に述べると、「ずっと日本で暮らしてきた」という世界観なのである。外国へ行けばこんなの簡単にひっくり返ってしまう。俺は文化の違いを、世界の違いを受け入れられるほど柔軟ではないのだ。

コミュニケーションが嫌いだから。俺は基本的に人と関わるのが嫌いだ。人は思い通りにならない。障害物とは違う。だから嫌なんだ。パルクールは自由?トレーサーならば誰もが仲良くなれる?楽しい?違う。断じて違う。誰もが河原で遊べないように、誰もが仲良くなれてそれを楽しいと感じるわけではない。少なくとも俺は違うと思っていたし、実際違っていた。何度やっても同じだった。パルクールだけじゃない。日常生活でもそうだ。そうだった。精神的な障害は持っていないはずだが、俺は何かが欠如しているのだと思われる。単に後天的に対人経験が不足しているだけだと思うが。ともあれ、日本人相手でさえそうなのだ。前提の違う外国人だとどうなるか。「観光客の外人に絡まれて楽しいだろ」 否定はしないが、あれは見世物と見物人という関係だからこそ成り立つものだ。店員とお客さんみたいなものである。それらができるからといって日常のコミュニケーションができるわけではない。それらに耐えられるからといって日常でも耐えられるわけではない。

気持ちいいから。俺はトレーサーに冷たい日本人の感性が好きだ。俺はマゾなところがあり、冷ややかな目で見られることに快感を感じるトレーサーでもある。それゆえに俺は一人でも、それも屋内ノウハウの無かった昔なのに成長し続けることができたのだと思っている。パルクール界隈では老害でありながら、未だに公園のママさん達の前で張り切ることだってできる。ヒソヒソより大きな、明示的な声を引き出すことができれば勝ちというゲームも遊んだこともある。久しぶりに遊びたくなってきたぜ。……それはともかく、気持ちいいのである。そしてそれは傍観者が日本人だからこそなのだと俺は思っている。といっても日本人以外の感性を知るほど博識でもなければ経験豊富でもないので単なる偏見であろうが。しかしそれでも、観光客や練習会で出会った外人の範囲から判断するに、やはり日本人だからこそ俺は気持ちよくなれるのだと思うのである。この件は、もっと詳しく言語化したいものだ。

他にも土地や食べ物や文化面で理由があるが、これらは日本で生まれ育ったからこそ言えることでしかない気もするので控えることとする。

「外国に行きたい理由はないの?」 ある。今まで見たことのない地形や障害物で遊べる可能性がおそらく高いということだ。だが俺は、俺のパルクールは日本国内の、もっとローカルな範囲の世界でも完結できるようになっている(いやそれさえも掌握しきれてないのが現状だが)。つまりは世界に手を広げる以前の問題だろうという話であり、これは強い理由はならない。