環境とは何か

トレーサーは環境を扱うものだ。ではその環境とは一体何なのだろうか。もちろん答えは一意ではない。トレーサー次第だろうし、そうあるべきだ。つまりこの問いは「俺というトレーサーはどんなものを環境として扱うか」と問うている。

俺の答えはシンプルで「なんでも環境になりえる」……これだけだ。

もちろんだからといって何でも使っていいわけではない。たとえば不法侵入や器物損壊はNGである。が、俺としては、そういったものを最初から「法律やマナーや一般常識としてNGなものは省く」としたくない。あらゆる可能性を、選択肢を考えたい。視野に入るもの全てを考慮したい。その結果、たとえ動けなかったとしても、少なくとも頭を動かして捉えることはできる。何かしら生かすことができる。たかが妄想でも積み重ねればモチベーションの差になる。たかが想像でも積み重ねればバリエーションの差になる。たかがシミュレーションでも精度の差になる……もはやたかがではないが。

なんだって環境であり、何にでも使うことができるのだ……これはとても緩い定義である。いや定義ですらない。が、それでいい。俺は自由に動きたいんだし、トレーサーはそう在るべきだ。

……しかし、そうだろうか。少なくとも Original Parkour では環境として自然よりも人工物を想定しているし、技体系もそうなっている。これは Wall があるのに Tree や Rock がないことからも自明だ。そしてそれに影響を受けてきた俺もまた、それに染まっているはず。つまり俺は「いかなるものも環境になりえる」と言っておきながら、実際はそうではない、特に人工物だけを無意識のうちに想定してしまっているのではないか。そんな危惧というか偏りがあるかもしれない。

もう少し具体化する必要があろう。今のままでは何も言ってないのと同じ。むしろ具体化するのが怖くてあえて「いかなるものもなりえる」などと言い訳して逃げている節さえある。ダメだ。逃げるな。

まず、俺が扱う環境はいつだって俺が生きている場所が舞台になる。普段住んでいる地元もそうだし、旅行すれば旅行先がそうなる。ここで肝心なのは、俺が行くつもりのない場所は環境にはなりえないということだ。たとえば 外国は想定していない。だから俺にとって環境とは 俺が実際に過ごしている場所や、過ごす可能性のある場所のすべて となるだろうか、とりあえずは。

次に進もう。いくつかの観点で考えてみる。

  • 屋内屋外は? → どちらも動く。学校だろうが職場だろうがモールだろうがお構いまし。ただ屋内は問題無く遊べるケースが少なく動けないことも多い
  • 自然は? → 動く。海や川で岩を相手にしたり、山で木や崖を相手にしたりする。
  • 天候は? → 強くないなら雨なら動く。雪は雨よりも苦手。強風でも動くことがある。大荒れだと動けない。
  • 時間帯は? → 早朝や深夜も動く。見えるなら暗くても動ける。しかし明るい場所で動く方が好き。
  • 通行人数は? → 迷惑がかからないなら動く。人目は気にしない。が、しなければならないケースもある。観光地で遠慮なく動けることもあれば、一人しかいないのに動けないこともある。ケースバイケース。

……観点が発散しそうだ。が、意外と制限が多いことに気付く。共通する意図は できるだけたくさん楽しめるように汎用性を高めている だ。たとえば多くのトレーサーは雨では動けないが、それでは雨天時に為す術がないので俺は動けるようにした。

ここまでを踏まえると、こうなるか。

  • 環境とは、俺が実際に過ごしている場所や過ごす可能性のある場所のすべて
  • しかしすべてを扱えるほど俺は万能ではないし都合もある
  • なるべくたくさん扱えるように工夫をしている

だいぶ見えてきた。あとはその工夫をどんどん洗い出していけば、現時点で俺が捉えている「環境」というものの実体が可視化されるはずが。面倒なのでやらないが。

とりあえず知りたいことは再確認できたので良しとする。俺はなるべくたくさん遊びたいんだ、動き続けて、楽しみ続けたいんだ。遊ぶのみ必要な環境も、そうでなくてはならない。いや、環境自体はすでにそうなっているはずで、問題は俺の実力にある。そういうことだ。

トレーサー自身にとっての「環境」。それを問うことでそのトレーサーの実力(というより能力か)がわかると言っても過言ではない……思えば当たり前のことか。